盛者必衰の理をあらはす。

今日は興味半分Yahoo!知恵袋を覗いてみた。そして見つけた。自分の家族が”ボンクラ一族”と書かれていた。自分でも、いやいや予想してたでしょ〜何か良くないことが載ってるのは、本当なんでみたの?って思ったけど、それでもきっと、自分のそれに怒らないで人を受け入れる心を試そうとしたのか、見たののだろう。

 

”ボンクラ一族”

 

この言葉だけが焼き付いて消えない。きっと周りから見たらそうかもしれない。対してなにもしてないそんな家族に見えたかもしれない。自分たちがそう見せさせてしまったことには非がある。だけれども、自分の怒りはこみ上げてきた。母親としゃべって怒る必要性がないことはよくわかった。

 

自分でも、これはまさしく”盛者必衰の理”を現しているのであろう。”奢れるものは久からず”をまさに証明している。これが人なんだろう。舞い上がり落ちていく。間違えをする。人の自分の欲を止められな弱さ、と純粋な欲がまざりあって良くない方向に行ってしまう弱さ。まさに自分がマクベスで学んだことだ。彼が王を殺したのは言葉でもなんでもない彼の意思と強い欲に導かれたものだと思うから。その弱さが作った結果なのであろう。栄枯盛衰。しかたがない。これは父親の人生であるから。だけれど、これは家の問題でもある。やっぱり悲しさは消えない。たとえどれだけ一族経営が悪いと言われようが、それで生まれる会社に対する愛着心がある。悲しい、ただただ。一族経営が終わるのはとてもいい案だと思う。ただ会社が無事でいてくれれば。ビジョナリーカンパニーはどこもかしこも一度は失敗している。だから、ここから回復してほしい。

 

文字にしていると、自分の怒りが嘘のように消える。だけど、同時にくだらない名誉がなんかどうでもよくなった。自分が正しいと思う道をしっかり歩むべきだと。自分の人生を信じるべき。何かすると決めたのだから。

 

だけど、教育ということについて悲しくなる。ああいうコメントを書く人はきっと”学ぶ”ことをしなかったんだろう。”人”という存在について考えたことがないんだろう。そして、会社が数千人という人からできていることも忘れているのであろう。たとえ、数学ができようが、なんだろうが、”学ぶ”ことをおろそかにしたら何の意味もない。”学ぶ”というのは、ひたすら考えること。本の主人公の心を感じて考える。そこまでして、”学び”。なにがなぜ悪いかを考える。なにが”悪い”なのかを考える。教育はとても大切なものなのに、システム化された教育のせいで根本が消えている。

 

自分も”学ぶ”ことをおろそかにしないよう生きて行く。

 

やはり”欲”に人は引っ張られる。欲は悪いものではないけれど、やはり自分でコントロールするべき。”欲の制御”を忘れないで生きて行く。

 

ジョン万次郎

edXというオンラインコースでVisualizing Japanをとって勉強していた時に、母親に”だれがペリーが来た時に通訳したんだろうね〜?”ときかれ、”ジョン万次郎じゃなかたっけ?”ってなって、思い出して彼をしらべてみた。

 

彼の過去を驚きの連続だった。

 

1、父死去。母と兄が体が弱いため、学校にもいけず稼ぎ柱になる。14歳のとき(1841年)に漁師仲間と漂流して、143日間無人島で暮らす。信じられないほどの生命力。

 

2、その後渡米して、大学で首席。 自分がいままでアメリカきて大変だったと思ってたことがアホらしく感じました。約150年前に、人種差別もひどいなか、スカイプもメールも日英辞書もないなか、アメリカに渡って、首席卒業。自分の言ってた文句は、自分に甘えてた証拠なんだろうと思う。やっぱり自分に限界があるなんて思わず死ぬ気で努力しなきゃいけないんだな。環境が変わっても生きてくだけの、力強さを尊敬する。

 

3、教育者として岩崎弥太郎などに英語やアメリカのアイディアを教え、幕末にいろいろな人にアメリカの考え方を教授。彼の考え方がたくさんの人に影響力を与えた。

 

ただwikiで読んだだけだけど、彼の生命力は桁違いということに気づいた。最近日本に戻りたいと思ってた自分の弱さを確認した。後ろを向いてる場合じゃない。前を向いて行かなければ。ジョン万次郎もきっと大変なときはあったけれど、諦めずに生きていった結果がいろいろなところでみえてくる。漂流しても絶対に諦めないところ。アメリカでひとりぼっちでも生き抜くところ。彼のもう一つすごいところは、漂流して助けられたのち、日本に帰る機会があったにもかかわらず、アメリカに行くチャンスを選んだところ。いつでも前を向いて生き抜く心。恐怖心より興味心を選ぶ強い心。自分もそうなりたいと思った。